ゆとりターミナル

始発から終点へのモーフィング

感動すること

 

これはエッセイみたいなもの

 

 

 

最近、といっても二ヶ月以上前なのですがズートピアという映画を見ました。

そもそも僕は映画を映画館で見ることをあまりしないので、今思えばこのこと自体が随分久しぶりのことだったのかもしれません。当然この日も地元にある映画館へ行ったのですが、"地元に映画館があるにも関わらずあまり行かない"ということはひょっとしたらすごく失礼なことなのかもしれないとチケットを購入しているときにふと思った事を、今こうして書いているうちに思い出しました。公開からしばらく経っているというのに席が思ったよりも埋まっている事に驚いたことを覚えています。それから、ディズニー・アニメーションということもあって小さい子供を連れた親子が多かったですね。

 

そんなわけで先に述べた通り僕はこの映画を見ました。そしてとても感動しました。

 

ここで内容については特に触れることはしないでおきます。映画の内容が気になる方は実際に映画を見てください。この映画の話を取り上げたのはただ単純に"僕がこの映画を見て感動した"という最近の体験談をひとつあげておくことで以下のちょっとしたお話をすんなりはじめられるからです。

 

この映画を見終えたとき、「21歳にもなってディズニー映画で感動するなんて」と僕は少し驚いていました。決してこの手の映画を"どうせ子供向けでありきたりなお涙頂戴ハッピーエンドの映像作品だろう"と斜に構えていたわけではありません。なんでしょうね、多分ですけれど、近頃感動するようなことがほとんどない、というところに、きまぐれで見たディズニー映画で大きく心を揺さぶられたことで、少し動揺していたんだと思います。

まあ、ディズニー映画の素晴らしさを知っている人がこのときの僕を見たら、「21歳にもなってディズニー映画で感動することに今更驚いているなんて」と皮肉を言うでしょうね。僕が言いたいのはまさにこれと似たようなことです。

 

僕は大学生になってから今日に至るまでずっと塾講師と家庭教師を続けてきました。

思春期真っ盛りの中学生・高校生を相手にするアルバイトです。

そこで最も痛感していることは、何か素晴らしい景色を見て感動すること、何か素晴らしい話を聞いて感動すること、こういった感動体験に直面したとき素直に感動することを「ださい」と認識している中学生を相手に、彼らを退屈させない面白い話をすることはすごく難しいということです。これは本当に、すごく難しいです。

自分が思春期だった頃を思い返してみてください。学校行事の一環で芸術鑑賞会というのに行くのは一般的でしょうか?僕は中学生の時も高校生の時もありました。ぼんやりとしか覚えていませんが高い金を払って劇団四季を見た"らしい"んです。寝ていたのかもしれませんし、会場を抜け出してどこかで時間を潰していたのかもしれません。とにかく、高い金を払って、この道十何年というプロが劇をしても、彼らを退屈させないことはできなかったりするんです。

もっと具体的で身近なことでもいいです。掃除当番をきちんとこなすこと、ラジオ体操をちゃんとやること、信号を守ること。こういったことを真面目にやるのを「ださい」と思ってしまう時期というのは必ずあります。誰しも通る道なので決して悪いことではないと思います。

ではそうしたことをちゃんとできるようになったのはいつだったか。

「ださくない」ということを教えてくれたのは誰だったか。

僕は正直よく覚えていません。というより、まだ心のどこかでこうした"思春期の残滓"とでもいうべき、「ださい」という発想が完全に抜けきっていないのかもしれません。素直に感動できる人、例えば映画やテレビドラマを見て号泣できる人を羨ましいと思ったりもします。

 

何が言いたいかというと、感動体験を「ださい」で消化してしまう期間はとにかく勿体無いということです。僕は身勝手なので、自分の教え子たちにできることなら、できるだけはやく、素直に感動することは「ださくない」と教えてあげたいとさえ思います。こういう時期に、どこか国内・海外に旅行へ行ったり、何か素晴らしい小説や映画に出会っても、ただただ勿体無いんです。大人になった時に、「ああ、もったいなかったなあ」と思い返すくらいしか使い道がなくなってしまうんです。

 

憶測というか、僕の勝手な想像ですけれど、人は感動することがないと知らないうちに思春期みたいなものに突入してしまうものなのかもしれません。僕が今回このズートピアという映画を見て感動したことに驚いたのは、それをどこかで「ださい」と思ってしまう感情が芽生えていたから、なのかもしれません。